shinjukuはその夜の燃えるような感情を朝の訪れと共に冷やし清々しく、そして夜への憧憬、少しの哀しみを込めて再び歩き出す曲。
それは新宿に済むだれもかしこでない何処の街に住む人たちも感じる事が出来る。その音楽を聴けば。耳に当てて聞いて外に出れば。街に出かけよう。
新宿を照らす光は夜のイルミネーションになり、そして朝は訪れるそのビルの光景。美しくも。変える事の出来ない時間。
静寂なサンボリストの野心として詩的なアプローチのvocalと冷徹なフィーリングを感じさせる機械音。その合わさったものが現象としてのfhenominaであり、それはまさしく、言葉の通り現象。
現象としてのfhenomina。そこではリズムがメロディvocalがdinのように響いている。例えばそれはbythelakesideのイントロです。
そして時に訪れる静寂のremainsの中でです。黒くインクの様な時間の中でです。だが、彼等の記憶の中にも「時間」は存在する。それは時を裏切ると言う事。今だけは。
同時にリディムと同じby the lakeside、a tint of greyのseduction。
その全てが群像劇のように様々な曲のバリエーションとなって、だがfuyuのvocalによって血の通ったこのかじかんだ季節の温もりのような何かを感じさせる。
滑らかで絹のようなfuyuのヴォーカル。そこに微細な響きからスペクタルなそれまで表現し切る電子音の数々です。snow,wind and doorsの決して飲み込まれる事無くインクのような時間の海に響く小さなリズムにやさしげなfufyuのvacal、それら高揚感を伴って導かれるように胸の高鳴りのような感情をリスナーに届ける。
そう送るのだ。決して彼等にとってかけがえの無いギフトとして。
クライマックスの高鳴りに静寂のリメインズと共に息継ぎされるfufyuのvocalが情感--emotionalを伝えてる。
heikousenで彼女は時間についての彼女の感性を語るやさしく、だがまるで無頼なような確信を持った感性を持って。
彼女が語る時間はインクのような真っ黒な海。彼女の声はfhenominの音楽はその上を滑らかに、そして時にはdinの騒がしさで平行線に飛行していく。
彼等の時間の平行線を記憶が作り上げるものでそのまま上げていくような飛翔の感覚でです。
fhenominaのファーストアルバムが発売されるのは4月5日。だが、それは時間の行方も無視してこの季節のかじかんだ季節のフィーリングも落とし込むようにです。そして春の訪れを告げる陽光のエモーションとなりリスナーに'彼等の今'を届ける。
街にでかけよう。彼等の音楽を伴って。